中国王国図

制作年 1676
制作者 スピード
出版地 ロンドン
言語 英語
イギリス
分類 アジア図

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解説

 この地図の制作者である、ジョン・スピード(1551?−1629)は、17世紀前半を代表するイギリスの地図制作者で、イギリス人による最初の世界地図帳である『世界の名所眺望 (A Prospect of the Most Famous Parts of the World) 』を1627年に刊行しました。この地図帳は、イギリスで長らく好評を博し17世紀を通じて再版されるベストセラーとなりましたが、本図は1676年の再版に際して収められていたものです。
 スピードは、同じく17世紀前半を代表するオランダの地図制作者であるヨドクス・ホンディウス(1563−1612)と提携して、自身の世界地図帳を出版しており、本図をはじめとした多くの図版をホンディウスの地図帳から借用していますが、ホンディウス自身、多くの図版をメルカトル(1512-1594)の遺族から買い取ったメルカトルのそれらに依拠していますので、本図の原型は17世紀初頭(1606年)にまで遡ることができます。
 地図を取り巻く装飾部分は、中国と日本の人物が描かれており、「日本の戦士」(左上から2番目と右下から2番目)が確認できます。現代の目から見るとかなり奇異に映る日本人物像ですが、ローブのような着物をまとい、腰に刀を差し肩に鉄砲を担ぐ日本人物像は、17世紀初頭からヨーロッパで流布し始めた当時最新の日本人像で、それがイギリスにも広まったことを示しています。その原型は、オランダ人で初めて世界周航を達成し、日本人とも遭遇したファン・ノールト(1558-1627)が世界一周紀行より帰国後の1601年に著した航海記に登場する日本人図にあると思われます。
 地図上部には、マカオと杭州が描かれ、左には交通手段、右には処刑の方法も描かれています。日本についての地図情報は、1595年のテイセイラによる日本列島図が、最も有力なものとして当時流布しており、本図もそれに従って日本が描かれているようです。この図に描かれていた朝鮮半島は誤って島として描かれてしまっており、本図もそれをそのまま踏襲していますが、本図と同じ地図帳に掲載された「アジア図」では半島として描かれており、同じ地図帳内でも混乱が見られます。また、中国北部地域を指すはずのカタイ(CATHAYA)は、中国とは異なる北方の独立国として描かれてしまっていますが、これはマルコ・ポーロの『東方見聞録』でヨーロッパに伝えられた中国(カタイ)が、次第に一人歩きして、中国と独立の異なる国であるかのように思われていたという、当時のヨーロッパの誤りを表しています。
 もともと1626年に作成された本図が1676年に再刊されていることからもわかるように、本図は、17世紀を通じてイギリスで影響力を持った代表的な中国・日本図として長らく流布しました。

(執筆:羽田孝之)