韃靼図

オルテリウス作のタタール図
制作年 1603頃
制作者 オルテリウス
出版地 アントワープ
言語 ラテン語
ベルギー
分類 アジア図

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解説

 メルカトル(1512−1594)と共に地図帳製作の礎を築いた、オランダのオルテリウス(1527−1598)は、メルカトルの協力と示唆を得て、自身が収集した世界各地の地図を一つの地図帳にまとめあげて出版することを企画し、大変有名な地図帳『世界の舞台(Theatrum Orbis Terraum)』を1570年に出版しました。この地図は、後年の1603年に刊行されたものですが、初出は1570年で、オルテリウスの地図帳の初版に掲載されて以降、繰り返し再版されたものです。この地図の原型となったのは、ポルトガルの地図製作者ヴェーリュ(?-1568)が1560年ごろに作成した地図だと推定されています。
 地図の表題にあるTARTARIAEとはタルタル、すなわちタタール(韃靼)のことで、東ヨーロッパからモンゴル高原にかけての広いアジア大陸部分を指しています。地図の右下に描かれているオレンジの色の部分が日本列島で、北海道がないだけでなく、全体のフォルムがかなり奇妙なものになっています。本州部分とおぼしき島にIAPANと斜めに書かれており、Meaco(都、京都のこと)、Osaquo(大坂)などの地名とヨーロッパ風の城郭のマークが配置されています。九州部分に当たるはずのBVNGO(豊後)は、本州と地続きになっており、Amanguco(山口)とも繋がっています。四国はTONSA(土佐)と表記され、九州南部にあたる位置には、Cogaxcuma(鹿児島)が確認できます。これらの地名の表記は誤りも含めて、前述のヴェーリュの図にも見られるものです。四国部分の下部に書かれているテキストでは、マルコ・ポーロによってヨーロッパに伝えられたジパング(zipangri)について書かれており、この地図が作成された当時の日本についての情報源として、依然としてマルコ・ポーロの影響が大きかったことが伺えます。
 日本列島のすぐ東隣に迫っている緑色の大陸は、なんと北米大陸で、バハ半島とカリフォルニア(Califormio)が確認できます。当時は、北米大陸と日本、そしてユーラシア大陸とはかなり近接していると考える説が根強く残っており、太平洋を大幅に狭く見積もった地図が多数存在していました。また、ヨーロッパから北米大陸の最北端を西回りに抜けてアジアに到達しようとする、いわゆる北西航路探索の試みも行われており、実際には存在しない幻の海峡であるアニアン海峡(STRETTO DI ANIAN)がこの地図に記されているのも、こうしたことが背景にあります。
 オルテリウスが1570年に出した地図帳には、このタタール図やアジア図、東インド図など複数の地図で日本が描かれていますが、その何れもが異なる形をしており、ヨーロッパにおける日本の地理的情報がかなり混乱していたことが伺えます。オルテリウスの地図帳は、1570年以降も補巻を出すことで、最新情報を更新していき、1595年の補完第5巻において、初めて単独の日本地図が登場しています。1595年の日本地図は、本図と比べて、正確さが格段にました日本地図で、その後のヨーロッパにおける日本地図の基本図となりましたが、一方で本図であるタタール図も依然として強い影響力を保ち続け、17世紀に入ってからも繰り返し再版されており、複数の日本図が同時に流布し続けました。

(執筆:羽田孝之)