ライブラリー地図
韃靼帝国図
解説
本地図の題目「韃靼帝国図」(Tartaria Imperium)における韃靼とは、北アジアと中央アジアを指しています。本地図は、イタリア人地図製作者にして天文学者、数学者でもあったジョヴァンニ・アントニオ・マジーニ(1555~1617)によって製作された地図の一つです。
「韃靼帝国図」の制作者マジーニは、イタリアのパドヴァに生まれ、ボローニャ大学で哲学、数学、天文学、占星術などを修めました。1588年には、ボローニャ大学数学主任のポストを巡って、ガリレオ・ガリレイと競い、その座を射止めています。
ボローニャ大学で教鞭を取る傍らでマジーニは、ドイツ人天文学者で「ケプラーの法則」で知られるヨハネス・ケプラーを始めとした当時の著名な学者たちとの書簡のやり取りを通して、自身の知識を深めていきました。その中には地図製作者のアブラハム・オルテリウスも含まれています。このオルテリウスとの交流が、彼の地図製作に大きな影響を与えることとなります。
マジーニは1596年、プトレマイオス地図の解説に、世界各地の地図・地誌を加えたラテン語による地図書をヴェネツィアで出版しました。また、翌年には、そのイタリア語版も同地で出版しています。当時の地図は、地図書や地誌から切り抜かれた地図が、個別で販売されることが多くあり、当該「韃靼帝国図」もその例外ではありません。証左として、当該地図の裏側には、韃靼とその周辺地域のイタリア語による解説が付されています。
マジーニの「韃靼帝国図」に記されている日本は、1570年にオルテリウスが発表した「韃靼図」に描かれた日本と酷似しており、先に触れたオルテリウスとの交流の結果と見るのが妥当と言えるでしょう。その一方で、双方の地図の地名表記には、若干の違いが認められます。例えば、オルテリウスが鹿児島を Congaxumaと記しているのに対し、マジーニはCongasumaと表記しており、オルテリウスが大坂をOsaquoとしている一方で、マジーニはOsaquaと記したりしています。大坂の表記については、博学であったマジーニ自身がイエズス会書簡集などにも目を通して、訂正を加えた可能性は否定できません。
マジーニの「韃靼帝国図」のみに目を向けてみると、オルテリウスの単なる模倣と捉えることもできますが、マジーニの類まれな博学な知識と、幅広い人脈の下に築かれた地図書の一部と解釈すると、マジーニの知の発露とも言えるでしょう。
(執筆:小川仁)