今回は、講談社現代新書から刊行された小生の新著『オランダ商館長が見た江戸の災害』について紹介したいと思います。
歴代の長崎・出島オランダ商館長は毎日の出来事を日記に記録していました。1633年から幕末までにわたる膨大な量の日記が現存しており、オランダのハーグ国立文書館に保管されています。ある時、同僚の磯田道史氏に、オランダ商館長日記に災害に関する情報が掲載されているのかどうかについて聞かれました。その質問に答えるために、日記を調査すると、火災・地震・津波・噴火・台風など様々な災害についての詳細な記録を各所に見つけることができました。しかも、それらの記述は、読む人がまるで自分もそこにいるかのような気分になるくらい臨場感に満ちたものでした。
この臨場感をぜひ読者に伝えたいと思い、『オランダ商館長が見た江戸の災害』という新書を書くに至りました。
本書では、6人の商館長を取り上げて、各商館長が日本で災害に遭遇した時に、何を考えて、どのような行動を取ったのか、そして災害時の日本人の行動についてどのように書き記したのかという側面に焦点を当てました。
同書では、明暦の大火、明暦4年の大火、元禄地震、肥前長崎地震、京都天明の大火、島原大変肥後迷惑という6つの災害が主要テーマとなっています。
オランダ側史料には日本側史料を補完する歴史的価値が認められるという点は以前から指摘していることですが、オランダ人の記録の真に優れている点は、見たまま聞いたままが記述されていることです。このような書き方は日本側史料にあまり見られないので、今回新たに掘り起こした内容があるのも本書の魅力です。
本書の本文については、日本側史料と付き合わせながらオランダの商館長日記の内容に沿って執筆しました。また、本文のなかの各所で磯田氏の解説が挿入されています。それは、本文の内容のうち江戸時代特有の事情について、さらに理解が深まるように説明を加えていただいたものです。
『オランダ商館長が見た江戸の災害』からオランダ人が見た明暦の大火の模様について書かれた部分を抜粋して、現代新書ウェブに掲載されており、閲覧可能であります。
なお、詳細な目次は次の通りです。
第一章 明暦の大火を生き抜いた商館長ワーヘナール
新商館長に就任/火の用心/江戸参府/なぜ江戸に火事が多いのか/面会を求める人びと/大目付・井上政重邸にて大火に感づく/長崎屋に駆けつける/重要書類、現金をどうするか/古代都市トロイのように燃える/迫って来る炎/避難民で溢れる通り/職務に忠実な役人/門前払いと江戸時代の「自由」/小屋で夜を過ごす/三つの火事/食糧価格の高騰/長崎屋の人びとの安否/炎に飲み込まれた江戸城/将軍の蔵/夜に響く子どものうめき声/江戸城崩壊は天罰だったのか/江戸の悲惨な姿/浅草門の惨状/源右衛門への援助/粥の施行/江戸を去る/火災に敏感な長崎奉行
第二章 商館長ブヘリヨンがもたらした消火ポンプ
新任商館長ブヘリヨン/十七世紀オランダで改良された消火ポンプ/江戸の復興/ダチョウのおかげ/大火の爪痕/家綱への謁見/政重が取り寄せた消火ポンプのゆくえ/ヨーロッパに伝わった明暦の大火
第三章 商館長タントが見た元禄地震
唐人屋敷の火事/巨大地震の衝撃/命よりも大事な槍印/天罰説と市井の不満/愛妻の安否を気遣う長崎奉行/江戸参府の決行/ジレンマ/命がけの川越え/箱根峠で実際に見た被害/小田原の被害状況と藩主の尽力/東海道沿いの被害/江戸の復興活動/地震の力に驚くオランダ人/困惑する綱吉/崩壊した江戸城/綱吉への謁見/余震に揺れる江戸/二度目の登城/被災地を後にする/宝永元年能代地震/商館長メンシングが見聞した宝永地震の災害
第四章 商館長ハルトヒと肥前長崎地震
商館の庭に避難するオランダ人/五島列島の甚大な被害/絶望と神頼み/オランダ人のテント生活/被災最中の江戸参府の準備/大工との交渉/ハルトヒの江戸参府/肥前長崎地震の終息/災害列島というイメージ
第五章 商館長ファン・レーデが記した京都天明の大火
父子の絆/毎日の火事/ファン・レーデの覚書/京都大火の猛威/避難する光格天皇/人びとの困窮/大火によって引き裂かれた家族/光格天皇の試練/ファン・レーデの二度目の江戸参府/京都での宿泊先/復興力に感嘆/光格天皇との交流/ファン・レーデのその後
第六章 島原大変肥後迷惑―商館長シャセーの記録
長崎の地震活動/オランダ船が来ない!/普賢岳の噴火/島原藩主の苦悩/眉山の山体崩壊と大津波/オランダ船の到着/外科医ケラーの報告書/ヨーロッパに伝わった雲仙岳の噴火/噴火する富士山
(フレデリック・クレインス)