竹田アグネス
伊勢出身のキリシタン、竹田アグネス加奈(1673?-1603)は、キリシタン大名、小西行長(1555-1600)の家臣、シモン竹田五兵衛(1570?-1603)の妻であった人物である。西軍側で関ヶ原の合戦に参加した行長が敗死した後、東軍についた加藤清正が小西の旧領であった熊本の宇土・八代の統治者となり、同時にシモン竹田をはじめとした小西の旧臣の多くも家臣として召し抱えることとなった。日蓮宗に帰依していた清正は、キリシタンであった小西の旧臣らにキリスト教棄教を迫った。多くの者が求めに応じ棄教したが、シモン竹田、ヨハネ南五郎左衛門は自らの信仰を貫き、棄教を拒否したため、清正の手により八代の麦島で斬首された。その際にシモンとヨハネの家族もまた信仰に殉じたため、麦島で磔刑に処されたのである。夫に従い殉教の道を選んだアグネス竹田は、敬虔にして信仰に篤いキリシタン女性として、イエズス会士の報告書により、ヨーロッパに広く伝えられることとなった。これから紹介する4著作では、アグネス竹田の人物像が様々な角度から語られている。
(執筆:小川仁)