激動の時代を駆け抜けたキリシタン女性たち     ①細川ガラシャ  

細川ガラシャ

1563年に明智光秀(1528-1582)と妻・煕子との三女として、越前で誕生した細川玉(ガラシャ)は、1578年に織田信長(1534-1582)の勧めで細川忠興(1563-1646)のもとに嫁いだ。その後、光秀による「本能寺の変」で、逆臣の娘となった玉は丹後国味土野に幽閉されたが、幽閉の任を解かれ戻った大坂の地でキリスト教と出会い、バテレン追放令と同時期に洗礼を受け、ガラシャと名乗るようになった。夫・忠興は、キリスト教への反発を示し、ガラシャにも虐待を加え、脅しをかけたが、細川家ではガラシャに影響を受けた侍女や子供達が次々と改宗し、ガラシャも生涯信仰を貫きとおした。そのような中、関ヶ原合戦で忠興が徳川方についたことに端を発し、石田三成(1560-1600)は人質としてガラシャの大坂入城を求めたが、ガラシャは忠興の留守中に屋敷外へ出てはならぬという夫の命に従い、人質を拒んで家老・小笠原秀清に自身の介錯と屋敷への放火を託し、自らその壮絶な一生に幕を閉じた。

(執筆:光平有希)