激動の時代を駆け抜けたキリシタン女性たち     ①細川ガラシャ  

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フランソワ・カロン『日本大王国志』アムステルダム、1648年刊
François Caron. Beschrijvinghe van het machtigh coninckrijcke Japan. Amsterdam, 1648.

1639から1641年に平戸オランダ商館長を務めたフランソワ・カロン(1600-1673)は、上司に提出した日本に関する報告書『日本大王国志』において細川ガラシャに言及している。カロンは「日本人の忠誠心について」の章での一例として細川ガラシャの最期を挙げている。『日本大王国志』におけるガラシャについての記述内容は、当時日本で伝えられた情報に基づいているようで、イエズス会士の記述内容と大きく異なっている。カロンによると、夫の許可なく屋敷から退去することは不名誉であると言って、石田三成の人質になることを拒絶したガラシャは、屋敷の一室に入り、周囲に火薬を積んで、夫に宛てた遺書と悲しい短歌を家臣の一人に託した後、火を付けたという。なお、カロンはガラシャを「小倉」(Cocora)の女王と呼んでいるが、小倉は関ケ原合戦の後に細川忠興に与えられた領地である。

(執筆:フレデリック・クレインス)