展示品<4>
2. エルベルト・ワウテルセンより平戸オランダ商館長宛書簡、堺、1615年1月29日付〔慶長20年正月元日〕ハーグ国立文書館所蔵(NFJ 276, fos. 5v-6v)
〔和訳〕
拝啓 今月25日に無事に堺に到着した。大きな悲しみではあるが、大坂の大部分が全焼したことをそこで知った。しかし、26日に乗物に乗って大坂へ赴いた時に、我々の代理人であるクロベエ殿から聞いたことがよく分からなかった。彼は数回堺へ人を派遣して、そこにある毛織物を大坂へ運ぼうとした。なぜなら、秀頼が堺を焼き討ちしようとしているとの根強い噂が大坂で広まっていたからである。また、堺の人々がそれをとても恐れていたことをメルヒヨル・ファン・サントフォールトからも聞いた。従って、毛織物を取りに行くための最初の派遣の時に5反が、そして2回目の派遣の時に7反が大坂に運ばれたが、これらは川を越えることができなかった。というのも、誰であっても出入りさせることが許されなかったからである。そのため、それらはクロベエ殿の義理の兄弟の家に運ばれた。これは川の西側に位置しており、その5~6日後に全焼した。というのも、秀頼の命令の下に一万五千軒の家が全焼させられ、四方に大砲の射程よりも広い空地ができた。《後略》
〔解説〕
本書簡では、冬の陣が終わった直後に大坂の町が破壊された様子を目の当たりしたオランダ商館員ワウテルセンがその状況を記している。また、堺の人々の恐怖や、商品を安全な場所に運ぼうとしている商人達の慌てぶりも鮮明に映し出されている。