展示品<8>
6. エルベルト・ワウテルセンおよびマテイス・テン・ブルッケより平戸オランダ商館長宛書簡、京都、1615年5月28日付〔慶長20年5月1日〕ハーグ国立文書館所蔵(NFJ 276, fos. 18v-20r)
〔和訳〕
当地〔京都〕に関東のほとんどの大名が集まっているのに、商売が繁盛しないことが不思議である。というのも、将軍〔家康〕および同月20日に当地に到着した王であるその息子〔秀忠〕が25万人を連れて来ていると皆が言っている。
将軍はまだ京都にいて、またその息子〔秀忠〕は伏見にいる。彼等は秀頼様に対して戦争をするために、明後日、全軍を率いて大坂へ行く予定である。当地では、秀頼様が持っている大軍について妙な噂が流れている。というのも、彼のところに15万人がいると言われている。従って、同秀頼の城が奪還されるよりも、再び合意に達するのではないかと考えられている。
堺の町は一昨日秀頼様側の人々に焼き討ちされた。また、当地〔京都〕では、昨日15人が捕まった。彼等は京都の町の様々な場所で放火するように同秀頼より派遣されたものである。そのため彼等は全員磔にされた。
〔解説〕
本書簡では、夏の陣に向けた緊張の高まりや一般民衆の間で広まっていた噂が記録されている。堺の焼き討ち、そして京都での放火計画の阻止についての記述も見られる。